2013年7月17日

 金曜日に手術をする。友人には話していないし話す心算も無いけれど、突然「この間手術したんだけどさー」みたく話したら面白いかな、面白いんだったら話そうかな、とはすこし思う。病院に行くということを最近よくする。病院自体は好きでも嫌いでも無いのだけれど、病院に行くのは、生活を一旦引き戻されるというか、思考を肉体に結び付けられる感じがどうにも苦手だ。一度目が向くと次から次へと悪いところが見つかる。まるで生きていたいみたいに。
 昨日何気なく、アルバムを見ていた。5、6歳くらいの頃にあったピアノの発表会の写真があって思い出したこと。私は発表会の時、必ず意図的に弾き間違えるようにしていた。誤魔化しもせず、むしろ間違えたことを誇示するように、不自然なくらい間を空けた。そうすることで後の人の緊張がほぐれると思ったからである。なあんかこういう、誤った優しさの具体化というか、人に与えることによる優しさでは無く、自分を損ねることによる優しさというのか、言いたいことは分かるんだけど、違うよね、という。でもこの人なりに頑張って人に優しくしようとしているのだから、言えないよねえ、という。ことを思いました。
 「損ねる」という言えばハルキ・ムラカミである。先日、アルバイト先の先輩Tさんが『色彩を持たない~』を貸して下さったので読んだ。酷い話だけれど、私は彼の作品の性描写を読んでいる時いつも脳裡に「これ書いてるの、あのおにぎりみたいな顔したオジサンなんだよなあ。せつな」という本当に酷い考えが浮かんで張り付いて剥がれないので、出来れば無いといいなあと思っていて、今作はそれが控えめであり、内容に集中出来た。今まで読んだ彼の作品の中で一番面白かった。色彩から解放される話。いまAmazonのレビューを読んでいたら「上方落語協会の役員みたいな容姿」と言っている人が居て私より酷いと思った。酷さに「より」も何も無いか。自分も容姿に自信が無いくせに人の容姿に良かれ悪しかれ言及するのは下品極まりないことです。アーメン。
 「アーメン」と言えばこの間借りて読んでいた雑誌にVISSARIONというロシアの新興宗教の話が特集されていた。教祖は「シベリアのキリスト」と呼ばれているらしい。容姿はキリストを意識しまくりで、さらにアントン・ニューコムとエイフェックス・ツインを足して3で割ったかんじ。嫌な3人を足したものだ。ぱらぱら捲っただけなので文章は碌に読んでいないのだけれど、写真が面白くて、中世の宗教画そのものなのだ。髭を生やして天鵞絨ぽい寛衣を身に纏った、聖者のイデアみたいなおっさんが10人くらい、暗い室内で火を囲って何やら儀式をしている。信者が教祖に向かってワーと縋っているのとか、あーこれドストエフスキーで読んだぞ~この後すごいこと起こるやつだぞ~ってなった。宗教と言えば、最近民俗学にかぶれていて、…といった具合に話は案外尽きない。