2013年7月17日
"Fadensonnen" Paul Celan(1920-1970)
Fadensonnen
Über der grauschwarzen Ödnis.
Ein baum-
hoher Gedanke
Greift sich den Lichtton: es sind
noch Lieder zu singen jenseits
der Menschen.
・ 「詩(思)というものが不可能となる」というのは、語が嗚咽のうちで喉の奥につまり、もはや声とならないことを意味するのであって、「何を言っても白々しい」というような単に嘲笑的な懐疑にさらされる事態のことを意味しているわけではありません。(…)ただ、「jenseits der Menschen:人間の彼方に」というツェラーンの詩句は、アウシュビッツという「狂気」の絶対的ともいうべき圧倒性を前にして、反対に「理性」の方が呑み込まれてしまう・・・いわば「理性」の消失点に身を投身しながらの探索・詩作を暗示してはいないでしょうか? 「規則がないもの」があるとしても、我々は「規則がない」として「理」解します。 地球上に実在した「或る地点」においては、≪「規則がない」として「理」解します≫という言説そのものが無意味となります。この無意味さ・・・ツェラーンが「無の詩人」とも呼ばれたゆえんかなと思います。
・ Jacques Derrida, 1930-2004
「誰でもない者」 に向かうとは、誰にも向かわないことと同じではない。「誰でもない者」 に語りかけること、そしてその都度その度ごとに、比類のない方法で、祝福され得るものは誰もいない。祝福し得る者は誰もいないという恐れを抱いて語りかけること――それが祝福の唯一の可能性ではないのか。自身を確信している祝福などというものは? それはひとつの判断、ひとつの確信、ひとつのドグマだ。
・Ingeborg Bachmann, 1926-1973
一つの墓標銘、すなわち 『詩のフーガ』 を携えてまず、彼は私たちのもとに表れた、夜の果てまで旅をした光輝に満ちた暗い言葉を携えて。
・Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund, 1903-1969
ツェランの詩は極限の恐怖を、口にしないことによって語ろうとしている。その詩の真実内容自体が否定的なものになるのだ。その詩は人間たちの間でも寄る辺ない人々の下にある言葉、それどころかあらゆる有機的なものの下にある言葉を模倣している。死者となる石や星の言葉を。有機的なものの最後に残っていた残骸も除去される。