2011年の9月が一番しんどかった。去年は何をしていたか覚えていない。と思ってわざわざ前のブログを見ていたが健やかに暮らしていた模様。ジジェクとバタイユにはまっていたのらしい。今年は2011年に次ぐしんどさ。夜はまだ起き上がれるけど昼がひどい。倦怠感と頭痛。秋だというのもあるけれど9.11が最も大きいと思う。12年前、私はフライト・アテンダントになりたいと考えていた。とても強く。それがあの、晴れたニューヨークの空に大きな煙の塊が浮かぶのを見て、夢を持っても無駄だし、もっと言えば、どんなに努力をしたって素晴らしい人間になったって、こんなふうに訳の分からない抗い難い力によって死んでしまうのだ、ということを(もっと幼い言葉で)感じた。
その力というのは何もテロに限ったことでは無い。天災とか病気とか、寿命だってそう。あるいは自殺も。みたいなことを、特に大きな病気をしたことも無い東京に住む大学生が言っても失笑ものでしか無いのですが。事実私はまだどこかで世界に期待している。月曜日に好きな人と会うし、その次の日の給料日を楽しみにしているし、今年の秋冬はどんな洋服を買おうか考えたりする。それ以降になると想像がうまくいかないが、それは単に頭の悪さが問題なのだろう。でも「君はまだ世界と自分に期待しているんだよ。世界なんてほとんどジョークだよ」と言われたのはなんだか釈然としなかった。所詮おまえの悲しみなんてその程度のものだよ、って意味なんだと受け取った。多分間違っていない。いいよ。私は君の次の次に不幸だ。悲しみは何通りもあるが幸福は一つだけと決まっているのだ。今この瞬間も「誰が最も不幸か」を決めるための催しが地球上の至るところで行われている。そこにおまえは選ばれない。おまえだけは絶対。何があっても。だから悲しむことは赦されない。いつだって笑っていろ、と悪魔が囁く。死んで欲しくないいとしい人は、生まないのがいい。失いたくない運命の人は、出会わないのがいい。そこにおまえは選ばれない。おまえだけは絶対。