現実の出来事を一つの契機として、妄想が花のようにぽつぽつと咲いていく。なまじ事実に根差しているから、どこまでが現実でどこからが妄想かわからなくなって、気付くとツイッターやらこのブログやらに書きかけて、あーこれほんとは無いかも、夢かも、夢っていうか私が作ったなんかよくわからん謎の、妄想。とおもって手を止める。本当の確率が99パーセントのことを書くなら、ゼミのレポートを書き終わった。いやほんとはあと500文字くらい足りない。もう書けない。「前者は「生きられた世界」での運動であり、後者は客観的世界に於いての可能性に過ぎないが、現在という視座からこの二つを眺めるとき、それらはまったく同じ方法で変容せられているのである。」みたいな、あーはいはいっていう感じのことを書いている。
土砂降りの雨が降っても洗濯物を取り込まない。でも新聞の集金に来たおじいさんには「お疲れ様です」と言う。孤独の新しいあり方の前で立ち往生している。日々はまぼろしよりも馬鹿げていた。