2014年1月26日




 気付いたら2014年。1年分の時間があればいろいろあるのは当然なので、いろいろあったなあという感慨は、何よりも適当でありながら、2013年という鍵括弧つきの1年に対して用いるのは不適当だ。それでも今年は、自己の内面に埋没せず他者との関係性の中に(好んで)身を投じると、こんなふうな時間の経過を体験するのだなあ、と感じた1年だった。早くも遅くも無く、きちんと1年分の時間を生きた。カサヴェテスの映画を観ているときのような。
 カサヴェテスと言えば、年始に、と言ってもつい2週間足らず前まで、オーディトリウム渋谷でやっていたカサヴェテスの特集上映は本当に最高としか言いようの無い体験だった。彼の映画は「鑑賞」では無く「体験」と表すほうがしっくり来る。初めて観たのは昨年の誕生日で、「ラヴ・ストリームス」と「こわれゆく女」だった。あまりに自然に、「絶えない流れ」として「体験」したものだから、映画たちに対しての距離感を測り損ねたまま半年近く経っていた。最近ようやくザハリヒに捉えられるようになり、大学に置いてある彼の本を一通り借りてきたところ。登場人物に対し「これは私だ」と移入するのでも無いし、この映画を「これは私の話だ」と感じるのでも無いし。「時間」なのだろうな。時間は誰の物でも無いけれど、誰の中にも、あるいは外にも平等に流れて存在している。だから彼の映画は突然始まって、突然終わる。
 そして私は君の言葉を信じられないままで居る。