2014年8月25日

 鞄のポケットから去年書いた文章の載った紙切れが出てきた。


 6月17日は17時から酒を飲んでいた。東京は梅雨入りしたばかりで、湿気が不慣れな手つきで渋谷の街を撫でていた。金が無かった。ファミレスの白ワインはばかみたいに安かった。ばかだから無遠慮に下品に低俗に、体中をかけずり回った。しなびたホウレン草のソテーは胃の中でゴミクズ同然のにおいを放った。冷房の真下の席だったので強い冷気が直接当たった。熱がうばわれていった。肩から指先から、わたしの熱がうばわれていった。アルコールで感覚が麻痺して何も感じなかった。右どなりに座っている30歳くらいの男は祈るように合わせた手の上に顎を載せ、何も注文せずに入口のほうをじっと見ていた。わたしは特筆すべきことが無い日々とこの店のただ中で、必死に頼るべき悲しみをひねり出そうとした。今日こそはあの男を愛せたらよいと思った。愛せたらよかったのに、とも思った。


 二枚目は先日友人と行ったとしまえん遊園地のエルドラドという、1903年にドイツ人が作ったらしいメリーゴーランドの写真。としまえんは幼稚園児かヤンキー崩れしか居なかった。真ん中に太い柱が立っていて、そこから数十個のブランコがぶら下がっており、10メートルくらいの高さまで上がって回転する、みたいなアトラクションがあって、われわれ以外みな幼稚園児だった。作り物めいた真っ青な空に少しだけ近いところで、ちいさな子供たちがみな一様ににこにこしながらブランコに乗って高いところをくるくる回っている、その様はこれまで見た何よりも平和で幸福ですべてが調和していて、ライ麦畑のキャッチャーになったような気分だった。
 あとディズニーランドは一つのアトラクションに複数名の従業員がついて様々の役割を分担しているのに対し、としまえんは人件費削減のためか基本的にワンマン運転で、チケットの確認からアナウンス、出口への案内など何から何まで一人でやっている。そのためかアトラクションの私有化が進んでいて、BGMがYUKIやSuperfly、アナと雪の女王のやつ(これはテーマパーク的だと思ったが、一応ライバル?のディズニーのだけどいいのか?と思った)、サイケデリック・ロック、ビヨンビヨンという音が流れ続ける陰鬱なヒップホップ、都会の夕焼けみたいな小洒落たヒップホップなどアトラクションの雰囲気を完全に無視したものばかりだったのが気になった。

2014年8月18日





2014年8月10日



 いま使っているiPodが馬鹿になって、ちょうど一年経とうとしているところなのにあまりにも短命、と心臓をばくばくいわしながら解決策を調べたら、故障時の基礎中の基礎のようなポジシオンであろうリセット機能というのを知り、やったらすぐ直った。本当によかった。と思ったのが一昨昨日。それで今日、本来ならば友人2名とプールに、このわたしがプールに行こうと、予定していたのに台風、台風が来て延期になってやさぐれて一日インターネットをしたり「耳そぎ饅頭」を読んでいたりした。ふと、このリセット機能を使えば前のiPodももしかしたら復活するかも、と思ってとりあえず充電しようとPCに繋いだ。そうしたらしばらく、充電しているから待ってくれという画面が表示されたのち、現行のiTunesと同期しようとしたので慌てて接続を解除した。そうしたらなんか、よく分からないけど直った。
 初めてiPodを買ったのは中学3年生の終わり頃か高校1年生の始めの頃で、そのときはピンク色のiPod nanoだった。でもすぐに容量が不足し仕方なく1年後の誕生日だか正月だかにclassicを購入。これが去年の春頃までずっと使っていたもので、今回復活したiPodである。つまりこの先代のiPodはわたしが最も多感であった(仮)約6年の音楽の趣味が凝縮されており、東は古いアダルトゲームのサウンドトラックから西はアイヌ民謡までを詰め込んだ記念碑的作品だったのである。直ってめちゃくちゃ興奮している。
 ついでに言うと昔親しくしていた男から貰ったというか「聴いて」と言われて渋々入れた楽曲が結構あり、わたしは同じ曲を繰り返し聴きまくるきらいがあるので(セルジュ・ゲンズブールの「唇からよだれ」という曲だけ約半年で400回くらい再生している)聴かずじまいだったものも多分にあった。今回改めて先代のラインナップを眺めてみたところ、今のiPodにしてから知った人間も居て、うち一人がNujabesで、いま聴いています。この名前を知ったきっかけも、また別の親しくしていた男によります。こういうの気色悪いと思います。自分の趣味が男の趣味に影響されるのは格好悪くて嫌なのだけど、みんなしてイヤホンを女の耳に挿入したがりやがって。男というのはみな音楽を好きなのか、わたしが音楽を好きなのか、それとも音楽を好きな男を好きなのか、といったとりとめのない有象無象を、台風の晩に考えている。何一つ感傷を挟むこと無く、じっとりと汗をかきながら。

2014年8月1日

 夏休みという響きは何故かくも人々をうきうきたらしめるのか。昨日は百貨店で化粧品を購入し映画館へ行ってチケットを購入、喫茶店で珈琲とババロアのセットを購入し、ほげーと言いながら読書しつつ男の登場を待った。二階は涼しかった。やがて男がやって来てしばらく二人で、ほげーと言って、映画館に移動しホドロフスキー翁の最新作「リアリティのダンス」を観た。現ホドロフスキーが、海に身を投げんとする幼少時代の自分を抱きしめながら「苦しみに感謝しなさい。それによって今のわたしになれる」と言うところがあって、先に観ていた友人が「いやー陳腐だけど、魂が救われるって感じの感じよ」と評していた意味が分かった。
 前にも書いたけれどルソーが「告白」という本で、告白の材料となる問題はそれが切実であればあるほど、個人的であらばあるほど、惨めで滑稽なものなのだ、つらい、と言っていたけれどまさにこの映画がそうであった。ホドロフスキーも彼の両親も愛その他の切実かつ個人的な問題に切迫していて、それゆえ笑えるシーンが結構あった。ていうかふつうに笑った。「グランド・ブダペスト・ホテル」は一瞬も笑わなかったけど、これは笑った。笑ったあとに、もしくは笑いながら「魂が救われるって感じ」がやって来て心臓がギュンとなった。それと過去にめっちゃしんどかった頃のことを忘れず懐かしまず抱きしめることが出来るというのは、すごいなと思いました。なのでわたしも80歳まで生きられたらそういった気持ち・気分でいたいと思いました。

 いまは友達がくれたCoconut Recordsの歌を聴いています。最近は山本精一の「ファルセット」というCDを買いました。