2014年6月30日

 あらゆるすべての人間が、泣きながら「つらい、死にたい、助けて欲しい」と言い縋ってくる。一方でわたしは世界に向けて、返事の帰って来ない手紙を書き続けている。
 雨が大きな音を立てて降る。それがすべてからわれわれを隔絶する。湿った呻きが19回上がる。部屋がばらばらに壊れ、外から大量の雨水が流入する。誰も巻き込まれることは無い。ただやまない呻きが濁流に飲まれていく。人称を欠いた時間が、青を求めて蠕動する。
 3回に1度のベルで眠れなくなる女。舞い込む過去を拒めない。昨夜得た光を口から零す。疲労の底へ溶けて消える。

2014年6月19日

 百年間もの孤独にわたしを追いやった人物が信号待ちをしているとき、すぐ真横に居るのに気がついた。その人物と関わった期間はほんの一瞬に過ぎないにも拘らず孤独がここまで長引いたのは、後に続く愛がすべて固有のものでは無く、その人物との時間・関係・愛を反復しているに過ぎなかったからだ。
 わたしは彼が纏うヴェールを一瞬に凝縮された永遠の中で、はがし続ける。彼の一部分すら永遠に所有出来ないからこそ、わたしは無我夢中で彼を永遠に欲望し続ける。この、フランスの思想家が突きつけた事実は間も無くわたしの経験として機能し始め、それは例えようも無い恐怖であった。が、永遠に尽きない欲望の連鎖を断ち切るのは容易だった。彼の肉体の内側にまで侵食しているヴェールから手を放し、はがすのをやめればいいだけだった。


 わたしが直接受けたわけでは無く友達に相談されたことなんだけれど、久しぶりに物凄く打ちのめされる話を聞いて眠れない。いかなる場合にも正しく在るためには、自分の中に確固たる正しさの聖書を持つんじゃなくて、不断に他人の内から正しさを見出さねばならない、という当たり前の事実を知らない人間というのは結構多いのだということが、大学生になって知った絶望的な発見の一つである。正しさは物凄く巨大な存在だから、われわれヒトごときが選択出来るようなものでは無いのだ。そしてまた、自己愛が強いくせに、自分にとって最も必要なものが何か分からない人が多いということ。
 なんだか悟りすました善人気取りで恐縮であるが、ただ単純にエモの情態に置かれているだけである。まったくああいった話を聞くにつけ、ほんとに悟って仙人になって、あらゆる対立概念の周縁であぐらを掻いていたいような、いややっぱり最後の最後まで人類を信じてみたいような、相反しているのだか愛という一点で完全に同質なのだか、道に迷ってファックと叫んでいた白人のおじいちゃんの気持ち、うどんの外は災難じゃい、そんな感嘆が口から鼻から漏れます。
 もう如何ともし難いので、天使だった頃の思い出という設定の妄想に浸って安寧を得たい。そう言えば先日、「ベルリン・天使の詩」未鑑賞の恋人が、「もしかして、前に天使だったことある?」と訊いてきたので「エッ、何で分かったの」と驚いた次第である。

2014年6月16日

 冗談だと分かっているのに嫌だと感じること、というのが存在しなければいいのにと思う。わたしはそのことについて、どこまでの指摘を許されているのかがさっぱり分からない。でも許すって誰から?それにしてもあなたはまるで、理性と感性がまったくの別物ででもあるかのような言い方をする。そういうのは今すぐによすべきだ。何故ってあなたの無知を露呈することでしか無いから。



・映画
「グランド・ブダペスト・ホテル」
→色んなことをやっていてそのどれもがいい匙加減だった。ただウェス・アンダーソンの残念なところは、コメディ映画なのにめちゃくちゃギャグのセンスが低いというところ。でも隣の人は結構笑っていたから、壊滅的かつ絶望的なまでにわたしと笑いの趣味が合わないと言うほうが正しいかも知れない。たとえばエゴン・シーレ風の絵を引き裂くのとか猫をポイと窓から捨てるのとか、それこそ「ブラック・ジョーク風」という感じでだから何と思う。ウェス・アンダーソンの映画はグザヴィエ・ドランの「わたしはロランス」を観たときと同じ感じがする。感じ感じってさっきから無根拠極まりないんだけどブログだしそれもまた乙。
 でその「感じ」はどんな感じかと言うと、冒頭で書いた「いい匙加減」という部分が要するにそれである。彼らは器用で頭がいいんだろうな、という感じ。「こうすればセンスのいい映画が撮れる」というのを知識として知ってしまっているのだと思う。それは仕方のないことであるとも思う。百年に一人の天才でも無い限り、われわれ生来の凡人(さすがに二人は凡人じゃないけど)が芸術家だ哲人だと呼ばれるには死神あるいは悪魔かそこら辺の奴らに魂を売らなければならない。でもその買い手だってさすがにもう人間に倦んでいてろくに買ってくれやしない。強いて言えば、黒人の魂がかなりアツい、というような話はあるのだろうけれど。
 だからどうってことでも無い。進行しているあらゆる芸術活動が無意味だと言いたいのでも無い。意味が無いものを尊べないほうがつらい。形容詞が多い。
 予告編で流れた「リアリティのダンス」が面白そうだった。

「タロットカード殺人事件」
→心底ミステリーに関心が無いので観てなかったんだけど、全然ミステリーじゃなかった。いつものラブコメだった。ウディ・アレンは顔が面白いので狡い。ウェス・アンダーソンも見習うとよい。

2014年6月13日

 PCが壊れかけであることとか利用者(つまりわたし)の技術不足だとかでnoteを使いこなせなかったのでやはりこっちにする。時代についていけていたのは、どうやらここまでだったようだ。



・今週観た映画
「エル・ブリの秘密 世界一予約のとれないレストラン」
→興味深い内容だったがもう少しフェラン・アドリアの思想が知りたかった。ロック兄ちゃんみたいな料理人が「NEW YORK FUCKIN CITY」とプリントされたTシャツを着ていてよかった。

「ダージリン急行」
→「グランドブダペストホテル」を近々観に行く予定なので士気を高めんと観た。やはりいい映画だ。アンジェリカ・ヒューストンは癖のある母親役やりすぎ。

「恋する惑星」
→周りから頻繁に勧められるので観たが非常に嫌いな感じだった。



・写真