2014年5月13日

2014年5月7日

 2日に「アデル、ブルーは熱い色」を観た。ゴダールが「彼女について私が知っている二、三の事柄」を撮った国なのだから当たり前と言えば当たり前だけれど、フランス映画は社会問題への言及の仕方が上手だなぁと思う。「パリ20区、僕たちのクラス」とか「クリスマスストーリー」とかも面白かった。それも所謂「社会派」の作品で終わってしまわず、「アデル」が紛れも無くラブストーリーであるように、アデルとエマを取り巻く環境を通して、生政治的なものに対する問題提起が行われている。実際、劇中で2度もアデルがデモに参加するシーンがあって(セックスしている時間の長さより、2回もデモやってるほうが注目すべきなのでは?と思う。あと「On lache rien」が流れてて良かった)、彼女はとにかく色んな形でその生政治的な問題に対し、意識的にも無意識的にも抵抗している。アデルの両親とエマの両親の会話も分かりやすくていい。親の年代ではマジョリティであろう、安定志向の保守的な考え方と、ばりばりの芸術一家です、みたいな個人主義的な考え方の対比。
 こういう、小さい穴から射した光が、奥の壁に微かでも広い明かりを投げ掛けるような描写というのは、先にも述べた通り「半径50メートル以内のことしか描いていない」(うろ覚え)という批判を浴びたヌーヴェルヴァーグの系譜だからなのだろうかな、と感じましたが正確なところは知りません(「クリスマスストーリー」は、ヌーヴェルヴァーグに回帰している、というような批評をされたらしいが)。まあ、娯楽性の低い社会派映画だと誰も見ないから、ラブストーリーの体裁で映画を撮ったのかな、という皮肉な見方もしないでもない。わかんない。それこそお国柄というやつか。「ムード・インディゴ」だって、「インターナショナル版」と銘打たれたヴァージョンは、ただのお洒落な恋愛映画みたいになっていたらしいし。だから「紛れも無くラブストーリーである」と書いたけれど、愛がこの映画のテーマだとは思わない。鑑賞者の関心によって「政治の話」「家族の話」「教育の話」「芸術の話」…といったように様々なテーマが浮かんでくると思う。一つ確実に言えることは、レア・セドゥと視線を交わしたい、ということ。それとこれは個人的な趣味だけど、わたしは歯並びに強い拘りがあって、アデルとエマの歯並びは二人とも非常に良かった。ほかの国の女優はみんな、カチリと綺麗な歯並びだけど、フランスの女優は独特な歯並びの人が多い気がする、これはジェーン・バーキンの力?
 映画鑑賞後、劇場をあとにし、われわれはどちらからともなく「ボロネーゼ食べようか」と言い、ワインバーへ直行した。アデルは事あるごとにボロネーゼを食べるので。それで、そのアデルが嫌いな生牡蠣を食べるシーケンス(まさに保守的なものへの抵抗)があって、生牡蠣も食さねばとなり、新宿のオイスターバーで生牡蠣を鱈腹食した。面白い映画だった。