2014年7月16日

 いろいろあって町田康の著作をいくつか読んでいる。「俺、南進して」を読み終えていま「パンク侍、斬られて候」読んでいる。退屈な内容でも「どつき回す」「ほたえる」「こます」の三語が使われた瞬間心にグッとこみ上げてくるものがあるので、いいご身分だと思う。わたしは東京が大好きで他の土地にほぼ興味が無いのだが、方言は心底羨ましく思う。方言に対する憧れが、文体への拘泥とか外国語(ざっくばらん)を習いたがる性向、共通語である英語に対する関心の低さと関係していると踏んでいます。どうでもいいけど。インターネットで方言を使うと、特に関西弁を使うと差別と弾圧の対象になりがちだけど、一気に人間味が出て面白いので嫌いじゃないです。
 町田康の本にはよく落語の話が出てくる。だから落語に明るければより楽しめるのだろうと思う。しかしわたしの聴覚処理能力には少々問題があって、言葉と意味がきちんきちんと連絡し合わず、シニフィアンとシニフィエの彼岸に飛ばされることがしばしばある。そのため音声言語命の落語を楽しむのは難儀なのである。事実、先日授業で桂枝雀という人の「時うどん」という落語を観たのだけれど、関西弁で滅茶苦茶早口なのも加わって一言も聞き取ることが出来なかった。でもあれは結構、落語に親しんでいない人が聴いたら分からないような気がする。どうなんだろう。それでわたしの好きな男が落語が好きだと言うんで「こないだ授業で桂枝雀(本当は「桂…雀に枝?みたいな名前」と言った)ていう人の落語観たよ」と言ったら、「へえ。枝雀が。彼は笑いを究め過ぎて鬱病になって自殺したんだよ」ということを教えてくれた。非常に聡明な人だったらしく英語で落語をやったりもしていたとか。聴覚なぁ。障がいと向き合って生きていこう。


 見知らぬオッサンと交わした会話。

オッサン「ねえ」
わたし「え?」(イヤフォンつけていた)
オ「今までの人生でなににいちばん熱中した?」
わ「え?…本?」
オ「最初にはまった本とか小説家とか覚えてる?」
わ「うーん。芥川龍之介」
オ「ほお。なぜ」
わ「善悪について考えさせられました」
オ「なにが悪だと思う?」
わ「相対的なものだと考えているので定義出来ません。でも少なくとも、好きな人を悲しませたり泣かせるものは悪です」
オ「もし、好きな人になんの感情も無かったら、そこに善悪は無いの?」
わ「好きな人を泣かせるものだけ、とは言ってないんですが」
オ「わかりました」
云々。

 しつこいオッサンは悪。